ガロ・ローマ時代のリュテティア
紀元前3世紀、ガリア人の部族パリシイがシテ島に住み着きました。紀元前52年にはローマ人が町を征服し、セーヌ左岸にリュテティアを築きます。円形闘技場、浴場、フォルム。その一部はカルチエ・ラタンに今も残っています。
重要な年表
歴史
紀元前3世紀、ガリア人の部族パリシイがシテ島に住み着きました。紀元前52年にはローマ人が町を征服し、セーヌ左岸にリュテティアを築きます。円形闘技場、浴場、フォルム。その一部はカルチエ・ラタンに今も残っています。
カペー朝の王たちの都となったパリは大いに栄えます。ノートルダム大聖堂の建設は1163年に始まり、ソルボンヌは1257年に創設され、ルーヴルは要塞として誕生しました。街は次々と城壁に囲まれ、ヨーロッパ屈指の知と信仰の中心地となっていったのです。
フランソワ1世とその後継者たちのもとで、ルーヴルは王宮へと姿を変え、街はいっそう美しくなりました。17世紀、ルイ14世は1682年に宮廷をヴェルサイユへ移しますが、王立広場や壮麗な貴族の邸宅を擁するパリは、なお王国の経済と文化の中心であり続けました。
1789年7月14日、バスティーユ牢獄の襲撃はパリを燃え立たせ、フランスを革命へと突き動かしました。街は大きな政治的激動の舞台となります。王政の終焉、共和国の宣言、そして世界中に影響を与えることになる理念の誕生です。
19世紀半ば、ナポレオン3世はオスマン男爵にパリの近代化を託します。広い大通りが切り開かれ、公園や駅がつくられ、今日私たちが知る淡い石造りの建物が立ち並ぶ街並みが描かれました。そして1889年の万国博覧会で、エッフェル塔がその上にそびえ立ったのです。
20世紀には芸術の都となったパリは、占領を経て1944年8月に解放されました。街は数々の偉大な美術館を擁し、今なお自らを更新し続けています。2024年にはオリンピックを開催し、2019年の火災から5年を経たノートルダムの再開を祝いました。
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